厚底シューズを考えてみる
厚底シューズで初めて走ってみた感想を先日書きましたが、今回は厚底シューズについていろいろ考えてみたいと思います。
先日の感想
やはりすごいですねこれ。
世間が騒ぐのに納得しました。
今の私では十分な性能を引き出すことはできませんが、それでも一定の効果はあったと思います。
走力アップについて
シューズによる走力工場向上は、個人的には二種類あると思ってます。
1つはシューズ単体性能による走力向上。
もう1つはシューズによって引き出される走力向上。
似て非なるもので、決定的な違いはダメージが蓄積する溜まりどころ。
前者はシューズ、後者はランナーです。
この両者によりランナーは走力が上がります。
走力アップ要因のバランス
今までは後者のシューズによって引き出される走力向上のウエイトが大きいと思ってました。
走るのはランナーなわけですから。
装備品はあくまでサポートレベルの地位づけ。
しかしこの厚底シューズは、明らかに前者のシューズ単体の性能のウエイトが大きいと感じました。
すなわち、ランナーへの疲労軽減です。
走ってる最中、疲労のたまり方が緩いというか、もう少し疲れるはずなのに、それがありませんでした。
反発力
ソールにガーポン素材のプレートが入っていて、強く踏むと強く返ってくる反発力が生まれます。
これが大きく作用することが走力アップにつながる最大の理由だと思いますが、このままで変わるとは思いませんでしたが(°_°)
足首周り
その反発力をいかんなく発揮できるのは、多分足首周りにも理由があると思います。
ソールから足首周りにかけて伸びる素材になっていて、足首からしたの部分と靴を限りなく一体化してる感覚ですかね。
足と靴の間に安定感がないとカーボンプレートに力がスムーズに伝わらず、また反発力もスムーズにはなりません。
それをこのシューズは足首下から一体化してるわけです。
厚底シューズに対する議論
自己ベストに向けてシューズや服装、補給食や前日のレースに気を遣ったりお金をかけることは当然のことです。
それによりタイムが縮まるのだから。
本来そこに賛否や善し悪しといった議論は存在しないはずですが、厚底シューズにおいては一種の議論が存在してます。
タイムが縮まるのはいいことだが
言うまでもなくタイムが縮まるのはいいことです。
今まで練習してきた成果を発揮できた結果なのだから。
という前提を厚底シューズは壊してしまうのではないか。
そんな可能性を秘めた非常に不安定な代物のように感じます。
川内選手の例
先日の琵琶湖マラソンで川内選手は8年ぶりにフルマラソンで自己ベストを出したそうです。
そのコメントの中には「こだわってはいられなくなった」という言葉がありました。
ランナーにおける厚底シューズの位置づけのすべては「こだわり」という言葉に集約されているのかなと思いました。
こだわりを捨てたことで自己ベストを出してしまったことを思えばなんとも皮肉は話ですが・・・。
市民ランナーとトップランナー
この両者を分けて、市民ランナー目線で端的に語ってしまうと、トップランナーは日本
記録や世界記録を叩き出すことが仕事です。
だから川内選手のこだわりは何も意味がありません。
って文字打ってたら、そういえば川内選手は市民ランナーでもあるんでしたね(^_^;)
両者の狭間で揺れてる川内選手の筋は非常に通ってますね。
とりあえずトップランナーにおいては、箱根駅伝であれ世界陸上であれオリンピックであれ、結果を出すことがすべてなのですから、第三者がそこに賛否を介入するものではないと考えます。
市民ランナーは自分次第
市民ランナーにとっては、厚底シューズをどう位置づけるかは最終的には自分次第だと思います。
自己ベストを出したときに厚底シューズを履いてたら、それが第三者の目にどう映るかは必然ですが、自己ベストは自己ベスト。
それをどう捉えるかは自分次第ってところですかね。
厚底シューズの考え方に対する結論
ホント難しい問題ですが、自分の中で結論を出します。
・厚底シューズはタイムを短縮する確実性が非常に高い。
・自己ベストの理由にこだわるなら厚底シューズは履かない方がよい。
・トップランナーはシューズ履く履かない議論にこだわる必要なし。つべこべ言わず勝つことと自己ベストを出すことに専念すべし。
・市民ランナーは自分で考えるべし。考えた結果履く選択をしたならば第三者の目なんて気にする必要なんて全くない。